今週でGallery1950も30年、
ずっとこの場所で、
長かったようなあっという間だったような、、、
21歳の時に無職だった僕はたまたま知り合いの紹介で恵比寿のOh’PAという
米軍の払下げ家具を扱う小さなお店で働くことになったんです。
元々アメリカの古着が大好きだったので「すっ〜と」入っていけたというか
違和感なくその仕事に馴染めました。
その頃の米軍の払い下げ家具は60年代モノが多かったですかね
あとはアメリカ大使館の払い下げなんかもやってましたね、
大使館からはEamesのスタッキングをハイエース1台分引き取ったこともあるんですよ
生地張りでしたけど、
他にも麻布辺り住むアメリカから仕事で日本に来てた人たちが帰国時に
アメリカから持ってきた家具を売ってく人が結構多くて
特に港区界隈の外人達に買取りを宣伝してたわけではないのに口伝てで広がったみたいです。
よく高そうな外人専用マンションにピックアップに行ってました
イーセンアレンとかドレクセルとかも買い取ってたな〜
で、その頃はほぼ毎日家具の手直しをしてまして
天板剥離してサンダーかけて塗装して、
真鍮の取手はピカールで磨いてね〜
引き出しや開戸の調整に、
色々やってました。
22歳の時にはアメリカに買い付けに行くようになって色々買い付けたんで
手直しもますます多種多様でいろんな家具のメンテナンスをやりましたね〜
ヘイウッドなんかは全剥離ですよ
当時はカリフォルニアフィニッシュってクリアーで仕上げるのが流行っててね、
ヘイウッドといえば、
それから20年以上経ってからですが、
オハイオのショーに行ってたら出店してたビンテージの眼鏡屋さんに声掛けられて
「ACME Furnitureにいたんか?」って言われて「なんで知ってんの?」って聞いたら
「LAのキャデラックジャックだ」って言われて懐かしかった
キャデラックジャックは80年代にヘイウッドを買ってたLAのディーラーさんでした。
話を聞くと奥さんの地元がミッドウエストで今は奥さんの地元に引っ越してビンテージの眼鏡屋やってるそうです。
Oh’PAの方はその後も好調で、2店舗目をオープンしたのがアクメです。
最初は山手通りの大きな古い一軒家だったんですよ
その後目黒通りのフラット4だったとこが空いてそちらに移転、
そこは元々車屋でしたから裏の道沿いに車を積めるリフトがあってこれは家具を各階に運ぶのにもってこいでした。
当時はヨーロッパのアンティーク流行りで
アメリカのビンテージ家具なんか扱ってるとこが他になかったんで本当に色んなお客さんが来てました。
ミュージシャンやアパレル関係はもちろん、やたらバブルなお客さんもいれば、
アメリカのビンテージオタクに軍物マニア、
その軍物マニアの人にフリーメイソンを教えてもらったのをよく覚えてます。
そして9年ほど働いたACMEを退社し1995年、遂にGallery1950を始めるんです!
その頃は30年後のことなんか考えたこともなかったですが、、、 : )
ACMEの方はその後、僕が働いてた頃からよく来て頂いてたセレクト屋さんの社長さんが店ごと買ったそうです。
その話を聞いた時は驚きましたね : )
ACMEでの家具の手直しの経験が今でも大変役立ってまして、
結果このコンディションを保ててるんですよ
もちろんクリーナやーた塗料、工具なんかも色々アップデートしましたけどね
あとは本物に拘ったことは大きいですかね
メンテナンスとGet Real、このふたつが30年残ってこれた大事な部分かと、
今日に繋がるアクメ時代のエピソードは沢山あるんですけどキリがないんでこの辺にしときます。
そんな感じでアメリカンビンテージに携わって40年、
これからも経験と自分の目を信じて頑張りますので
これからもGallery1950をよろしくお願いします。
それでは皆さん、恵比寿でお待ちしてます!
あっ、6月4日は久保建英の誕生日なんですよ